あゆみ・歴史

沿革

大正13年11月

前会長、故砂原格(衆議院議員従三位勲二等)
22才の秋、大和商事(砂原組前身)を設立

昭和3・4年

アスファルト道路舗装請負、土木建築材料販売会社として砂原商店に商号変更。

昭和13年・14年

アスファルト舗装工事部門を独立し、砂原組とする。

昭和17年

砂原格、政界に進出。広島市議会議員となる。

昭和19年4月

地元15業者の企業合同をおこない、新たに広島市八丁堀に土木建築請負業、株式会社砂原組を設立(法人化)

昭和20年1月

4社を合併し社名を広島工業(株)に変更(資本金73万円)。砂原格、代表取締役に就任。

昭和20年8月

原子爆弾の被災により壊滅的な打撃をうけ、役職員に多数の被害が出る。

昭和20年 秋

戦後初の受注工事である広島駅前郵便局新築工事を請負う。

昭和21年

進駐軍より受注工事が増大する。
〈主要工事〉広島中央電話局改修工事他

昭和24年

業務の拡大を期し、山口出張所、福山出張所を開設。
〈主要工事〉広島市警察局新築工事 他

昭和27年

朝鮮戦争休戦で建設業界不振となる。
〈主要工事〉広島市中島小学校増築工事 他
砂原格、衆議院議員初当選。昭和17年政界進出以来、昭和22年広島県議会議員、広島市議会議員と併せて議会生活を送り、市議会議長として活躍。

昭和28年7月

社名を現社名である株式会社砂原組に変更。
〈主要工事〉東洋工業(株)鋳造課事務所新築工事 他

昭和30年12月

砂原建設(砂原商店の改名)を合併。
〈主要工事〉広島護国神社社殿新築工事 他

昭和31年8月

砂原建産(株)を合併、資本金1,000万円となる。
〈主要工事〉安佐郡可部町公民館講堂新築工事 他

昭和33年9月

東京営業所(昭和34年支店に昇格)を開設。
最初の工事として下中ビル新築工事請負金、1,550万円であった。
〈主要工事〉安田学園高等学校増築工事 他

昭和35年

この年は、いわゆる安保闘争で激動を重ねる。 この時期、地方業者として大手官庁より受注困難であるとされている5,000万円以上の工事を受注し、当社が地方業者の域を脱皮する第一歩と考えられた。
〈主要工事〉 広島西郵便局其の他新築工事 他

昭和36年1月

砂原格、通産政務次官に就任。国務多忙につき社長を辞任、住谷一登が社長に就任する。

5

資本金1,000万円を増資し新資本金2,500万円とする。
〈主要工事〉 岩国郵便局局舎新築工事 他

昭和37年7月

住谷一登、社長を辞任。
砂原格長男、砂原克行、社長に就任する。あわせて砂原格、会長就任。
建設業界において道路建設の促進、ビルラッシュに支えられ未曾有の好況を持続。
〈主要工事〉広島中郵便局新築工事 他

昭和39年

東京オリンピック開催。
建設業界においてもオリンピックブームであったが、金融引きしめ、物価高騰、労働者不足でなやまされる。その中で各方面の御支援をえて、完工高10億を突破し13億4,000万円に達する。

昭和42年12月

資本金を増資し、1億6,000万円となる。
〈主要工事〉東京国税局上中里寮新築工事 他

昭和43年11月

砂原克行、社長辞任。
平野武夫、社長就任。
〈主要工事〉吉田町立吉田中学校校舎新築工事 他

昭和45年3月

本社移転、広島市八丁堀から広島市平野町9番20号へ。
〈主要工事〉西濃運輸(株)広島支店新築工事 他

昭和47年5月

創業者砂原格会長、5期にわたる衆議院議員を最後に70歳で不帰の人となる。
従三位勲二等に叙せられる。
〈主要工事〉 安古市町佐東町中学校組合立城南中学校新築工事 他

昭和53年2月

平野武夫、社長を辞任し会長に就任。
中村次郎、社長就任。
(主要工事)鈴ヶ峰住宅第2期4工区建築工事 他。

昭和55年

長びく不況の中で当社受注高100億円突破、完工高において98億円となる。
〈主要工事〉檜垣ビルディング新築工事 他

昭和56年2月

中村次郎、社長辞任。
平野武夫、社長就任。
当社において初の単独10億円の請負工事受託。完工高100億円突破
〈主要工事〉東広島平安閣新築工事 他

昭和57年2月

平野武夫、社長を辞任し会長就任。福間一美、社長就任。受注高150億円に近づく。
〈主要工事〉 都立大泉高校昭和57年改築工事

昭和58年11月
(創業60周年)

本社新築移転、広島市中区平野町9番20号から広島市中区平野町1番16号へ。

昭和60年2月

平野武夫、会長を辞任。
福間一美、社長を辞任。兼友義之、社長就任。
〈主要工事〉並木パラスト新築工事 他

昭和63年11月

〈主要工事〉県立小畠病院新棟新築その他工事
(支店)NICアーバンスティッ我孫子新築工事 他

平成元年

昭和天皇崩御。時代は、昭和から平成へと移る。
〈主要工事〉広島城二の丸表御門及び御門橋復元工事
(支店) 東京都災害対策要員用住宅(仮称)角筈住宅新築工事

平成3年

バブル崩壊。土地神話崩れる。
完工高200億円突破。
〈主要工事〉みよし運動公園陸上競技場メインスタンド建築工事 飯室トンネル工事
(支店)都営住宅02CH-6801東(東陽町7丁目建設局施設)工事

平成6年11月
(創業70周年)

アジア地域42カ国より、6,824名の選手・役員を迎え
第12回「アジア競技大会広島1994」が首都圏以外ではじめて地方開催される。
当社も「筒賀ライフル射撃場」等の施工を請け負う。
〈主要工事〉広島職安吉島宿舎建築工事 安芸府中有料道路建設工事(2工区)
(支店) 都立青山高等学校(5)改築工事

平成8年

兼友義之、会長就任。
桝井秀樹、社長就任。
〈主要工事〉広島国際協力センター(仮称)管理・研修棟新築工事 胡町商店街カラー舗装工事 広島金座街商店街カラー舗装整備工事
(支店)都営住宅07H-1104・2105南(昭和拝島)工事

平成9年

長びく不況のなか、戦後の日本経済発展の一翼をになった、銀行、証券会社、ゼネコン等一流企業といわれている会社が倒産、自主廃業と続くなか当社4年ぶりの受注金額200億突破。
〈主要工事〉高田地区消防組合消防庁舎増築工事 福富町金口住宅団地造成工事
(支店)都立杉並高等学校(9)改築故事

平成11年

兼友義之、会長を辞任。
桝井秀樹、社長を辞任。
北川 泉、社長就任。
〈主要工事〉広島平安閣改修工事(グラン・ラセーレ広島)
主要地方道本郷大和線道路改良工事(仮称:用倉トンネル)
(支店)品川火力発電所燃料ガス圧縮機械室 他 新設工事

平成16年

北川 泉、社長を辞任し、会長就任。
中川博司、社長就任。

平成17年
(創業80周年)

株式会社フジタより株を買い戻し、系列から離れる。
会社分割により、新生砂原組スタート。
創業80周年記念式(於広島全日空ホテル)

平成18年

北川 泉、会長を辞任。

6

ボンテランエコセンター竣工。

平成28年10月

中川博司、社長を辞任し会長就任。
砂原 傑、社長就任。